さて,最終日,サマルカンドからタシケントまでバス移動.
またもや中央アジアの草原にて,途中トイレ休憩を入れて,タシケント郊外のレストランで昼食そして日本人墓地へ.
そして,タシケント以外のウズベキスタンで亡くなった抑留者たちも
こちらのお墓にはなくなった方のお名前も入っていました.
こちらの男性は親子三代に渡って日本人墓地の管理をしてくださるファジーロフさん.お線香まで用意してくださって.先代,先々代ともに日本から勲章を受けてます.たっぷりお礼をはずみました.
抑留者の死亡率は平均で20%と言われ,高かったのですが,ウズベキスタンでは気候が良かったのと地元民との交流など支援があったおかげでずっと少なかったと聞いています.
その後国立応用美術館へ.
そしてナボイ劇場へ
「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」とウズベク語,英語,日本語で書かれています.
ウズベキスタンの初代大統領は「ウズベクは日本と戦争をしたことはない,ウズベクは日本人を捕虜にしたことはない,彼らは恩人だ,間違っても「捕虜」とは書くな」と命令.でこの文言になったそうです.
ちなみに旧ソ連で4番目にボリショイと呼ばれた劇場です.(モスクワ,レニングラード,キエフの次)
ウズベクの人たちは「ロシア兵が見張っていなくても働く日本人」を尊敬し,今でも親は「日本人のようになりなさい」と子どもを躾けるそうです.
ウズベクの人たちは「ロシア兵が見張っていなくても働く日本人」を尊敬し,今でも親は「日本人のようになりなさい」と子どもを躾けるそうです.
アミール・ティムール像
大統領府
独立広場 お察しの通り以前はレーニン像が経っていたそうです.今はコウノトリが.
地下鉄駅ですゴージャスな駅舎,以前は撮影禁止だったそうです.
同じ日程で5組の日本人ツアーが乗るので,チェックインは混雑が予想されるので,早めに空港へ.ラウンジは無いということだったのですが,タシケントの空港,9月にリノベートされ,ラウンジもありました.しかし,ワインとビール以外のお酒は「免税店で買ってきて飲め」ということなので,ウズベキスタンのワインを.
仁川まではまたもやA330
成田では入管も空いていて,荷物もpriorityで出てきたのであっという間に手続き終了.
で,ウズベキスタン諸注意
- 英語はあまり通じないので挨拶程度のウズベク語かロシア語は覚えておきましょう.
- 物価はかなり安い.
- 持って行くお金はUSD.円からの両替はレートが悪くバザーなどではUSDそのままで使える.
- 治安はかなり良い.よく「小学生が子供だけで通学できるのは日本ぐらい」と言われるけど,ウズベキスタンもタジキスタンも子供だけで通学してた.
- といってもバザールのような混み合うところは注意.あとバザールではカード使わないほうが良いって.
- インフラも日本ほど整っていないので「停電」「断水」などが起こることも.
- お手洗いは原則有料(3000UZS日本円で30円ほど)トルコ式のスクワットトイレ多し.
人々も親切です.最近は日本人観光者も多く同じ日程で5組総勢100人以上が観光しましたし,個人の観光客も多そうです.
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