セデック・バレ,KANOと台湾映画を続けて見て,さらに震災の時の台湾の皆さんの御尽力に感激して「何日かはお礼をしなければ」と思っていたのですが,所詮あたくしができるのは「日本円をばらまくことだけ」微力ながらお手伝い.
ついでに霧社事件,嘉農,烏山頭ダムも訪ねることに.
あたくし,ヨーロッパは何度も行ってるし,パリやウィーンなんかは土地勘もあるので問題ないけど,アジアは素人.どうしようかネット検索してたら「かなりややこしい旅でも承ります」なサイトをハケーン,上記のことを伝えた.
ウェブトラベルさん.直ぐに回答が来た,でも・・・・・・高い.
やはり場所が場所だけに,専門のガイドや車のチャーターが必要.ちょっとちょっと「クロアチアドイツ10日間」よりはるかに高いよ.
でも霧社とか嘉農はツアーもないし(最近JTBがKANOのツアーは始めたらしい)
で,
HND-TSA
台北→台中(高鉄)泊
台中→霧社 泊
霧社→台中→嘉義 泊
嘉義→烏山頭水庫→台南 泊
台南→台北 泊×2
TSA-HND
台湾なんか行ったこと無いし,楽しめるかしら?てなわけで旅行開始.
まずは,HND-TSAが結構早い便だったので,羽田前のり,ついでに売り専デリバリーでお楽しみの後,ホテルのシャトルで羽田の国際線ターミナルへ.
喉を潤しながら出発便を待つ.
シップは初めて乗るB787.事前にEDカードをネット申請したので,イミグレでは「Internet」と言うだけでOK.写真と指紋で1分ほどで入国完了.
高鉄(新幹線)で台中へ.
その後台鉄で「台鉄台中駅」へ
台湾の高鉄駅は,台鉄駅から10-20Km離れていることが多く,東京駅や新大阪駅のように考えていたらとんでもないことになりますので,予め乗り換えをチェックしておいたほうが.台中は台鉄台中駅まで電車がありますが,嘉義はバスしかありませんでした.
台中駅からバスでホテルへ.
ホテルは結構豪華ながら,駅からそれなりに遠いので,専用バスの団体観光客が多いホテルでした.
翌朝あたくしはチャーターした車で霧社へ.
霧社事件の首謀者とされるマヘボ社の頭目,モーナ・ルダオの像.
「抗日の英雄」のように持ち上げられていますが,本当はモーナ・ルダオの息子と日本人警官との私怨のようで,そもそも原住民の頭目は度重なる日本政府の接待旅行で,日本の軍事や人口,文明を知っていたので「戦いを挑めば皆殺し」とわかっていた.
だから半数の頭目は参加しなかったし,「やるなら最後まで自分たちで責任を持て」と傍観した.
しかし,手打のために誰か人身御供が必要で,首謀者の父親でありマヘボ社の頭目であったモーナ・ルダオに責任を押し付けたというのが真実のようです.
蒋介石の時代に「日本人を殺した人はみな抗日の英雄」と持ち上げられたようです.
お線香を手向け,安寧を祈りました.
霧社事件の現場,霧社公学校の跡地.現在は台湾電力の施設になってます.結構狭い.
原住民の胸像.額と顎の下の模様は文身です.女子は「機織りができるようになると」男子は「首狩りをすると」その証として文身をします.文身がないまま死ぬと,虹の橋を渡って先祖の地に帰れないと言われます.
人種的には台湾原住民はポリネシア人と関係が深く,身長も180cm前後と大きい人が多かったということです.文身,キンマ噛みなども共通する文化です.
現在この階段の上には廟がありますが,嘗ては神社でした.蒋介石の時代に鳥居も灯篭も壊されましたが,地元民が記憶を頼りに再建しました.「なんか変」ですが,世界で一つの鳥居になってます.
霧社のホテル.ユースホステル程度の設備でしたが,NHKも映るし,Wifiも入りました.
霧社の役場で,川中島在住の原住民の方に会い,川中島へ案内してもらいました.
事件の後,生き残った原住民は川中島と呼ばれる地区に強制移住させられました.
しかし,「日本人から農業を習い,明日をもしれぬ狩猟生活から,安定した農民に変わることができた」と好評のようでした.
ここには「余生記念館」があります.
原住民の衣装や,
セデック・バレで使われた衣装も展示されてます.
さて,霧社の街
朝食の豆乳と肉まん.豆乳なんて日本では飲んだこともないけど,この豆乳は美味しかった.
さて,高鉄台中駅に戻り,嘉義へ.
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