2019年5月11日 鳥丸軍雪展☆☆☆☆☆ 於 ファッション美術館
初めて鳥丸軍雪の名前を聞いたのはいつだったろう?ケンゾーやイッセーがパリで活躍し始めた頃,すでにロンドンで地位を築いていたのに,日本ではほとんど知られていなかった.
その後,日本でも徐々に知名度が上がり,一番注目されたのは,ダイアナ妃が最後に来日したときのブルーのプリーツドレスだった.
日本ではあまり成功しなかったし,当時の彼のブランド「Yuki」は登録商標の都合で日本では使えなかった.
久しぶりに彼の名前を見たのは,2010年前後,日本人が相次いでノーベル賞を受賞した時.シルビア王妃が授賞式後の晩餐会で着たドレスが「どうも何処かで見たようなテイスト」で,調べたら鳥丸軍雪だった.それどころか,その前後,計4回もシルビア王妃のドレスをデザインしていた.
3年ほど前,本人曰く「忘れられた存在」であった鳥丸のもとに,出身地の宮崎市から「展覧会」の依頼があり,しかし,自身の作品や資料をすでにほとんどボストン美術館に寄付していた彼は,その宮崎の展覧会のために,過去の型紙から再度レプリカを作り展示した.その時の作品を中心に展示されています.
1980年代後半ぐらいに日本の雑誌のインタビューで,パーティーで知り合った英国人男性に気に入られ,御稚児さんとして英国についていき,現地で勉強してデザイナーになった.と言っていたが.なんと,その英国人はデズモンド・モリスだったのね!
そりゃ金もコネもあるから「成功は約束されたようなもの」最もそれ以上に才能豊かだったからだけど.
とにかくプリーツ,ドレープが美しい.ここの美術館では以前にも「マダム・グレ」展が素晴らしかったけど,それに勝るとも劣らない展示でした.
プリーツやドレープをきれいに出すために,結構化繊を使っていることや,型紙の切り取りパターンや原価計算表など,経済の部分も見えて面白かったです.
舞台衣装をいくつも依頼した黒柳徹子のインタビュー映像が流れていましたが,彼女は,母親である「黒柳朝」から鳥丸軍雪を紹介されたっていうエピソードも面白かった.
その後は,今は関西住みの元同僚とお食事とお酒
神戸の夜を満喫しました.
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