ずーっと前,東横線沿線でお仕事してた時,近くにろう学校があったのか,聴覚が不自由な高校生が団体で乗ってくるのによく出くわした.聴覚が不自由な子達は,表情を思い切り使いながら会話するので「可愛いなあ」と微笑ましく思っていた.
その時に彼らが使う手話と,テレビなんかで出て来る手話通訳の手話と違うんじゃない?と思っていた.
そうしたらTBSの「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」のポッドキャストでそのあたりのことをやってたの.聴覚障害者が使うのは「日本手話」,通訳が使うのは「日本語対応手話」
日本手話と言うのは聴覚障害者にとってクレオール言語であるのに対し,日本語対応手話は聴者にとっても聴覚障害者にとってもピジンらしいの.
番組の中で,日本語対応手話で「赤ん坊の首が座った」といったら日本手話話者は「椅子の上に赤ん坊の首がおいてあった」と思ってしまった例を挙げていたわ.
日本手話の話者は,日本手話の文法で考えるし話す.一方日本語対応手話は日本語の文法で話す.
さらに日本手話は「顔を隠したら半分も伝わらない」と言われるほど,表情やポーズにも依存する.
かつて,日本の教育では「手話厳禁」が普通だった.方言札と同じような意味もあったけど,緊急時に手話しか使えないと命にかかわることもあったと思う.
ま,今はタブレットがあったりするから,筆談も楽になったと思うけど.
言語学的な検知から,手話を勉強してみたいわ.
あたくしが「あぁ手話が使えたら」と思ったのは,同じように電車の中で手話で騒ぐ高校生達.複数の子供が目まぐるしく手を動かすから「うるさい!」と言いたくなった.
アメリカにはAmslanという手話があるのだけど,これに微妙な方言があるらしいの.で,それを「patois」と呼ぶらしいのだけど,この単語,フランス人に行ったら決闘沙汰になりかねないような差別語なのよね.
手話の「話者」はspeakerじゃなくてsignerね.
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